新型コロナでゾンビでも徘徊し始めなければ明確な対策が実行されない

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 税金の上で飯を食う人種には、本当の緊迫を感じることができないのでしょうね。
 だから、国会のぬるま湯浪費会議で四の五のを並べるだけで、何も末端の国民には届いて来ない。
 民間経営的発想で今回の新型コロナ対策を打っていれば、少なくともマスクは既に国民に行き渡っていたでしょうし、医療現場で感染予防グッズが不足するなどという事態もなかったでしょう。
 多くの店舗や企業が蛇の生殺しが如く、鈍感で無頓着でいられる客だけを頼りに、閉めるのか営業を継続するのかをヤキモキと葛藤し続けている。

 企業では優先付けが存亡の鍵であり命です。民間経営的発想でならば、何を優先するか、何を遮断するか(止めるか)を、もっと迅速に判断でき実行に移っていたことでしょう。
 こんな小さな島国の国民の平穏を守れない政府には、疑問を残さずにはいられません。
 確かに国政としてコロナは一つの課題(one of them)にしか過ぎず、常に念頭に置くわけにはいかないのでしょう。
 しかし、日本国内での感染ルートを辿ることもできない現在を見ると、最早、手遅れであって手の施し様のない末期なのではないか、そして優先付けを明らかに誤ったのではないかと感じてしまいます。

 血が流れなければ緊急事態として発動しない警察と同様に、政府も日本国民がゾンビとして徘徊し始めでもしない限り、あ~でもない、こ~でもないと多くの時間と予算を浪費して座位で口頭弁論し続けるのでしょうか?

 民間企業に判断を委ねるのではなく、大筋の対策は腹を括って日本国を海外と遮断する、国内を縦断する公共交通機関を停める、各自治体で徹底的にコロナ診察を実施するなど、もっとダイナミックに深めの対策をとるべきだったと感じます。

 だらだらとぬるま湯の中の蛇の生殺しの1ヶ月間より、この深過ぎるかも知れない対策の方がよっぽど誠意も伝わり、国民全員が危機感を共有できる期間となったのではないかと残念で仕方ないのです。金銭的な損失は結果的にどちらも同等かも知れません。
 しかし、国民としては、ガッテン、納得、予防策を可能な限り協力すると賛同し易かったのではないでしょうか?

 必要なモノが必要な時に手に入らない実情をもって、日本が先進国だと誇るのは恥ずかしい。心まで貧素になってしまいます。

 もっと強い政府を求めると共に、もっと強い国民の一人になる工夫も必要ですね。人任せに安心してはいられない、もっと一生懸命に生きなければ。



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