子供への教育を考える|新一年生の能力に求められること

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 正確には自身の子供へではなく、孫へ目を向けた時に気になることがありました。

 来月4月には小学生ピカピカの1年生なのです。男の子です。

 会話の語尾が曖昧で、結局何を言いたいのか2~3度聞き方を変えて訪ねてみなければ理解することができません。
 赤ちゃん言葉というか、承知の上での表現ですが幼稚というか、当然と言えばそれまでですが、いざ小学生という
 お兄さんの領域に向かう姿を想像すると、正直、大丈夫かな~?大丈夫じゃないよね~。と心配事しか頭に浮かんで来ません。

 自身が小学生の頃、遡ること約50年、半世紀も前のことなので、流石に純粋な意味での記憶(後付けで加工していない記憶)はありません。ちゃんと喋れていたのかな~?自分の名前は書けたのかな~?どうだったんだろう?
 とても微かな記憶映像ですが、入学式の後に初めて座ったクラスの席で、先生が配った紙(何かの書類)に新しい筆箱から取り出した鉛筆で名前を書いたように思います。

 と言うことは、その時点で既に自分で名前を書くことができていたのでしょうね。恐らく「ひらがな」でしょうけど。書き順、上手下手は別としても、形として自分のシンボルを書き示すことはできていたのだと思います。

 そんなことを思い出すと、孫の赤ちゃん言葉と名前ぐらいは書けるのだろうか?という心配が重なり、居ても立っても居られない不安に駆られてしまいました。


 その孫の家庭での教育という意味では、末っ子の男ので猫可愛がり、野放し、やらせたい放題で、小さな目標とゼロから積み上げる努力を怠っていた。と、残念ながら言えてしまいます。
 生活環境、経済状況が芳しくないため、必然的に精神状態も数珠繋ぎ的に負の影響を受けてしまっているのです。
 緻密な教育へ向ける時間と予算があるならば、今日明日の安息を求めてしまう、楽しみを優先してしまうという具合です。

 虐待とは言い過ぎですが、しかしそれに近い放棄の類には属していると感じています。


 上の二姉妹も小学生に上がる前まで末っ子と同じような状態だったようですが、祖母にあたる家内が丁寧に「ひらがな」「カタカナ」「数字」「足し算・引き算」を教えたそうです。ただ、末っ子の男の子については、余りにも母親の猫可愛がり状態に匙を投げてしまい、姉妹へ費やしたものと同じレベルの力を注がなかったのです。
 そのギリギリの状態を目の当たりにした祖父の立場の私としては、見て見ぬ振りをする訳にもいかず、せめて自分の名前を「ひらがな」で書けるようにしてあげたいと思ったのです。


6文字の「ひらがな」の「名前」を書けるように

 一緒に居れる時間は僅かですが、男の子に「その気」にさせる「理由」と「方法」を目一杯に工夫して取り組んだつもりです。
 その気にさせるためには、男の子が理解し納得できる分かり易い理由が必要でした。


 それは「日本だけでなく、地球の全ての人の中で、あなたの名前は一つしかないのよ。」

 →「えっ?そうなん?」


 「だから自信を持って、自慢できるように、自分の名前を書けるようになろうね。」

 →「えっ~?」


 何とかテーブルに向かってはいるので匙を投げるには早過ぎると、升目の付いた帳面に赤ボールペンで男の子の名前を手本として一行書いてあげました。

 「ジジの書いた手本をみながら、同じ形の字を下に9回書くんだよ。」


 渋々書き始めて1行が終わったのを見届けた後、全部できたら教えてねと用事で他の部屋へ退散すると、5分も経たないうちにやって来て、「できた~」と帳面を見せつけて来ます。確認してみると愕然、2行ほど進んだところで止まっていて、文字のパーツも揃わず、隣の文字なのか、新しい文字なのかも判別できない有様。

 また、一緒にテーブルに戻って、「ジジの手本を見ながら」「下まで一行ずつ書こうね」「全部終わったら教えてね」と説明し、また用事の部屋を戻っていると、また5分もしないうちに「できた~」と帳面を見せつけに来ました。状況は先程と全く同じ。


「仏も三度まで」の言葉を思い出しつつ、感情を敢えて抑えて一緒にテーブルに戻ってもう一度説明してあげました。


 今度は少し時間が長く、15分ほど経ったころに「できた~」と帳面を持ってきました。確認してみると確かに最後まで文字は埋まっていましたが、やはり文字ではなく絵?、落書き?、居眠り時の書きそびれ?と思うような形が一杯。

 流石に、これは手順や教え方の工夫余地と、集中力の欠如(学ぶ姿勢に慣れていない)が問題だな~思い、今度は、10行男の子の名前を赤ボールペンで書いてあげ、それを黒鉛筆でなぞる方法にしてみました。
 書き順は、10行書いている最中を一緒に見させて、声を出しながら「一、二、三・・・」と何処から始めるのかを確認しながら示してみました。一行目の文字列には、書き順の数字を各々の角の筆先に書き添えてあげました。

 2行ほど男の子がなぞるのを見届けた後、その場を離れていると、「できた~」と帳面を持ってきました。
 その状況は、後半に近づくにつれて赤ボールペンの筆跡から脱線の度合いが多くなっていました。完全に集中力の欠如ですね。

 確かに途中、何度もトイレと言ってテーブルを離れていました。大人でも分かるその気持ち「逃避行動」でしょうね。

 これは簡単には治らないぞ。と心配が加速してしまいました。


 この状況を見かねたババ、家内(祖母にあたる)が、男の子の右手を添えて一緒に書き上げる動作を何度も繰り返しました。
 男の子にとっては、上の姉妹も一目を置く(ババの躾言葉でピシャリと行動が変わる)ババですから、ジジの甘い対応とは違って本気にならざるを得なかったのでしょう。

 その後、かれこえ1時間ほど続くと、次第に自分の力で名前を書けるようになりつつありました。

 勿論、完璧の合格点をあげるには時期尚早で、油断することなどできません。

 この後、家に戻ってから入学式までの約2週間、毎日繰り返して練習すれば、必ずや立派に自分の名前を書くことができるようになるはずです。

 この際、多くは望みません。自分の6文字の名前だけは自信を持って書けるようになって欲しいと願っています。



つぶやき次元の愚痴として

 その男の子や上の姉妹が暮らす家庭環境については、根本的な幾つかの課題があるのは分かっていますが、それらをここで明かしたところで何も良き方向への発展を期待できないと思いますので、いわゆるバックグラウンドについては文字にしないことにします。
 できること、やるべきことにしっかり努力した上でなら、私達老夫婦の意見や手助けも意味のあるものとなるのでしょう。

 比較的近所に居ながら、冷たく厚い壁が立ち塞がっているようです。
 親族の世代と世帯を超えた交流は、簡単なようで複雑な難しい側面も有りますからね。



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